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落語と音楽

天狗裁き』という落語はご存知でしょうか。
あれはなんとも滑稽で良いですね。
聴き方によっては、さげが終わった余韻でパラレルワールドが存在するかのような感覚にも誘われます。
この噺が好きで、いろんな噺家さんの『天狗裁き』を聴き比べています。


落語やジャズを聴いていると、音楽における〝カバー〟とか〝コピー〟といった表現がいかに浅はかかがわかります。
良いものに近づこうとする心意気は大切ですけどね!

人の楽曲を自分が演奏する姿勢として
借用させて頂いた上で、上手い下手は関係なしにして、自分なりのアレンジを盛り込むことが最低限の礼儀ではないかと考えるようになりました。

〝カバー〟という言葉の意味を調べるとですよ
・覆って守ること
・足りないものを補うこと

〝コピー〟の意味は
・複写
・模倣すること

となってるんです。

複写は絶対無理。
すげぇ細かいこというと、音の作り方とか、演奏する人の癖とかが作品になってるわですから、全く同じことはできまへん。
〝コピー〟には、マネすることの模倣という意味も含まれているようですが、まぁだいたい易々とコピーバンドとか名乗る人たちは『真似しようとしている気持ちが先走っているバンド』という言い方が相応しいですかね。
真剣に真似しようとしている人たちの心意気は素晴らしいですけど。
中には、原曲やそのアーティストを通り越して素晴らしく仕上がっている人たちもいますね。

 

人が懸命に書いた楽曲を〝カバーする〟という安易な使い方は、アーティストに対してこれほど失礼なことはないとおもうのです。
必然的に上から目線で物を言ってますから。
知らないうちにディスってるっていうことにもなりかねませんね。

ましてや、自分が歌いたい曲っていうのは崇拝するアーティストのものだったり、ずっと何百回だって聴ける大好きな歌だったりするじゃないですか。
それを〝カバーする〟とか、〝コピーする〟とか言う表現に落とし込むと、冒涜の極みになってしまってる気がするんです。

その曲が廃れないように、歌ってたくさんの人の耳に届けるという意味では、その楽曲を〝カバーする〟という一部の意味では守れているとおもいますが。

音楽における〝カバー〟とか〝コピー〟とかいう使い方は、比喩された音楽用語として世間に浸透してますから、そこに突っ込みまくる自分もナンセンスかとおもいながら、わたしも〝いち表現者〟としてなんか腑に落ちない事柄なんでございやす。

人の歌を唄うときは、敬意と愛を持って自分の感性を盛り込もんで歌っていこうとおもいやす。

ジャズや落語のようにね!

 

とか能書き垂れておきながら、ステージ上で『これは◯◯さんの◯◯という曲のカバーです。聴いて下さい。』とかほざいていたら、ちゃんと叱ってね♫